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70才からの一人暮らし

70才からの一人暮らし

モンガラと冒険クラブの仲間達

       モンガラ 

冒険クラブで「モンガラ」と言うのはわしのことや。 「紋柄(もんがら)かわはぎ」と言う魚、知っとるか。 口がとんがっている渋い魚だよ。  わしは少々出っ歯なんで、そう呼ばれていたんだ。 それにわしは潜り(ダイビング)が大の得意だったせいもあるかも知れん。                                  
冒険クラブ手作りのヨット「ヤワイヤ号」で、日本一周をしたことがあったんだが、そのヨットを作る時も、わしはヨットの底にガラスをはめ込み、海の中が観察出来るように工夫したんだ。  
「ヤワイヤ号」のことは「ヤワイヤ号の冒険」と言う本になったんだが、もう絶版になってしまったと思う。   読んでみたかったら、今流行の、<一冊でも印刷出来る本>と言うのを作ってもらって、読んでくれ。

わし(モンガラ)は、スクーバダイビングの世界ではかなり古手のダイバーであった。 40年以上前から潜っていたのだから。 高校の頃、まだマスク、スノーケル、フリッパーの三点セットさえも無かった時に、ホースを口にくわえて高野川で四六時中潜っていたんだ。 大学に入ってからも、潜りだけは止めずにいて、本式にスクーバダイビングを教えてもらおうと、稲村サルベージというところにいったんだ。 もちろんスポーツとしてだよ。 ところが、稲村のおやじさんは、わしの腕をググッと掴んで「んんっ。良し良し。」と言うなり、いきなり人の頭にヘルメットをかぶせて、潜水服を着せて、「行って来い!」というわけだ。 慌てて飛び込んだら、重りが重過ぎて、海の底にドーンと突き当たってしまった。 すぐ上がって「頭が痛い。 眼が痛い。」と訴えると、おやじさんは、「フーン。 大丈夫だ。 もう一回行って来い。」というだけなんだ。 夜、風呂屋に行くと、子供達が遠巻きに、怖そうに、わしの体を眺めている。 それもその筈、全身赤黒いまだら模様になっていた。 全身がいわゆるスクイズというやつになっていたのだ。

レジャーダイバーになる筈が、作業ダイバーとなってしまい、それが又非常に面白かったので、結局、その後レジャーをやり始めてからも、作業から足が抜け切れなかったんだ。 それからは、作業と言わず、レジャーと言わず、潜りに潜った。 7年間の大学生活の内、2年間はヤワイヤ号の製作と航海、2年間はダイバー生活であった。                       



 


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